2007年10月22日
障害
私は、生まれつきの脳性麻痺と言う障害です。
簡単に言いますと、手足が不自由、しゃべり方も言語がある障害。
この障害は、昭和40年代が一番多くて、一番困っていました。
家族、医者、その他のみなさん。
私は、48年に生まれ、7ヶ月経ったとき、母が何かおかしいぞと
思ってました。それから、病院に駆けつけたところ、医者も私は治せない分からない言うばかりで、何回も病院に両親が転々と回り、中々病院も受け入れてくれるとこはなかった。最後にあった病院は、岡崎の第二青い鳥学園でした。
そして、3歳に青い鳥に入り、寝泊りでリハビリに励み、約10年間家族の元を離れ、青い鳥での生活をしてきました。私は、子どものごろでしたので、家族の大変さは、知らなくあまり記憶に残っていませんが、とにかく青い鳥に入ることがいやでいやで
泣いてばかりだったみたいです。そして、3歳から小学校にあがる前は、歩行器を使って歩き、それから少しずつリハビリで、何も使わずに歩くことか出来た。でも、何百回も何千回も数えれないぐらい扱けて、ケガもしてきた。それがあったから今は歩けるのだなと思う。家族に感謝しなくてはならない。
今は、34歳になって、車の運転もでき、一般企業へ勤めることも出来ています。今自分を見てみると、やれば出来る。どれだけ時間がかかっても、やれば出来る事が、分かってきた。あと何年生きるか分かりませんが、障害とたたかって、後悔しない道に
進めたら良いなと今思っている自分です。
簡単に言いますと、手足が不自由、しゃべり方も言語がある障害。
この障害は、昭和40年代が一番多くて、一番困っていました。
家族、医者、その他のみなさん。
私は、48年に生まれ、7ヶ月経ったとき、母が何かおかしいぞと
思ってました。それから、病院に駆けつけたところ、医者も私は治せない分からない言うばかりで、何回も病院に両親が転々と回り、中々病院も受け入れてくれるとこはなかった。最後にあった病院は、岡崎の第二青い鳥学園でした。
そして、3歳に青い鳥に入り、寝泊りでリハビリに励み、約10年間家族の元を離れ、青い鳥での生活をしてきました。私は、子どものごろでしたので、家族の大変さは、知らなくあまり記憶に残っていませんが、とにかく青い鳥に入ることがいやでいやで
泣いてばかりだったみたいです。そして、3歳から小学校にあがる前は、歩行器を使って歩き、それから少しずつリハビリで、何も使わずに歩くことか出来た。でも、何百回も何千回も数えれないぐらい扱けて、ケガもしてきた。それがあったから今は歩けるのだなと思う。家族に感謝しなくてはならない。
今は、34歳になって、車の運転もでき、一般企業へ勤めることも出来ています。今自分を見てみると、やれば出来る。どれだけ時間がかかっても、やれば出来る事が、分かってきた。あと何年生きるか分かりませんが、障害とたたかって、後悔しない道に
進めたら良いなと今思っている自分です。
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心のバリアフリーはどうなんでしょう。
こんなコメントを書いているわたしも障害を持っている方に躊躇してしまうことが多いのです。
わたし自身、心のバリアフリーとは何なのか、これからも考えていきたいと思います。
さっそくのブログありがとうございます。
私はトシヤさんに会ってまだ、間もないですが、
トシヤさんと出逢えてすごくうれしく思っております。
これからも是非、見守っていてください。
私に出来ることはきっとわずかですがせっかくの出会いなので
これからのトシヤさんとの時間を大切に過ごしていきます。
宜しくお願いします。
またの更新楽しみにしております。