2007年10月31日
母校は、なつかしいかった。
今日は、会社の有給でやすんで、母校の文化祭に出す作品を持っていきました。母校の裏の山はまだ青く、紅葉になるにはまだ早いように感じた。後輩たちは、学芸の練習で励んでいる頃です。また私は、久しぶりに先生と話ができて嬉しかった。ふっと振り替えてみれば、知っている先生が少なく、若くて綺麗な先生たちが多く感じました。「それはそうだもんなあ。母校を卒業して、もう16年だからな。あの頃の時代に戻らないかな。」でも今は今の道に進んで行けばなにかあるかも?今があるのは自分が進んできた道だからね。大切にしなくちゃね。あっそうそう…、母校の隣の青い鳥の駐車場で、見掛けたんだけど、妊娠したお母さんが障害児を抱っこしていて、それを見て私は、大変そうだな。でもお母さんは強いだなと、また感心されました。私はそれをみて何もしてやれる事は出来ないが、心から祈りたい。お母さんがんばって、無理せずに一息入れて生活を送りましょう。2007年10月26日
障害児のお母さんは元気!
2007年10月24日
あれから1年半…
自立支援法ができて1年半が経ちます。この法律ができてから、ものすごく障害者も事業者も大変に困っています。それは、施設の利用料を払わなくてはならない。以前は、私も12年前に施設を利用していたので分かりますけど、利用料と言うものはありませんでした。でもこの法律ができてから、利用料を払わないといけない。しかも、利用者の負担は月に1万円以上が6割、工賃は1万円もありません。なのに利用料が1万円以上、工賃よりも高いのです。それでは、障害者の人は、利用したくても出来ない。国にがこう言う法律を作ったものも、障害者に対しては矛盾しています。障害者は働く意欲があっても働けない。施設があればそこに行けるし仲間もいる。また、事業者の方も利用者が居なくては成り立っていけない。しかも今まで、来ていた人が来なくなり、その人にも心配している。やっぱりこの法律は見直さなくてはならない。国が駄目なら市が活発になってやってもらわないと、障害者の人たちは困り大変なことになってしまいます。とにかくこの法律を見直しをしましょう。障害のない人、あなたに障害者だったらどうしますか?また、共に考えていけたら嬉しく思います。
2007年10月22日
障害
私は、生まれつきの脳性麻痺と言う障害です。
簡単に言いますと、手足が不自由、しゃべり方も言語がある障害。
この障害は、昭和40年代が一番多くて、一番困っていました。
家族、医者、その他のみなさん。
私は、48年に生まれ、7ヶ月経ったとき、母が何かおかしいぞと
思ってました。それから、病院に駆けつけたところ、医者も私は治せない分からない言うばかりで、何回も病院に両親が転々と回り、中々病院も受け入れてくれるとこはなかった。最後にあった病院は、岡崎の第二青い鳥学園でした。
そして、3歳に青い鳥に入り、寝泊りでリハビリに励み、約10年間家族の元を離れ、青い鳥での生活をしてきました。私は、子どものごろでしたので、家族の大変さは、知らなくあまり記憶に残っていませんが、とにかく青い鳥に入ることがいやでいやで
泣いてばかりだったみたいです。そして、3歳から小学校にあがる前は、歩行器を使って歩き、それから少しずつリハビリで、何も使わずに歩くことか出来た。でも、何百回も何千回も数えれないぐらい扱けて、ケガもしてきた。それがあったから今は歩けるのだなと思う。家族に感謝しなくてはならない。
今は、34歳になって、車の運転もでき、一般企業へ勤めることも出来ています。今自分を見てみると、やれば出来る。どれだけ時間がかかっても、やれば出来る事が、分かってきた。あと何年生きるか分かりませんが、障害とたたかって、後悔しない道に
進めたら良いなと今思っている自分です。
簡単に言いますと、手足が不自由、しゃべり方も言語がある障害。
この障害は、昭和40年代が一番多くて、一番困っていました。
家族、医者、その他のみなさん。
私は、48年に生まれ、7ヶ月経ったとき、母が何かおかしいぞと
思ってました。それから、病院に駆けつけたところ、医者も私は治せない分からない言うばかりで、何回も病院に両親が転々と回り、中々病院も受け入れてくれるとこはなかった。最後にあった病院は、岡崎の第二青い鳥学園でした。
そして、3歳に青い鳥に入り、寝泊りでリハビリに励み、約10年間家族の元を離れ、青い鳥での生活をしてきました。私は、子どものごろでしたので、家族の大変さは、知らなくあまり記憶に残っていませんが、とにかく青い鳥に入ることがいやでいやで
泣いてばかりだったみたいです。そして、3歳から小学校にあがる前は、歩行器を使って歩き、それから少しずつリハビリで、何も使わずに歩くことか出来た。でも、何百回も何千回も数えれないぐらい扱けて、ケガもしてきた。それがあったから今は歩けるのだなと思う。家族に感謝しなくてはならない。
今は、34歳になって、車の運転もでき、一般企業へ勤めることも出来ています。今自分を見てみると、やれば出来る。どれだけ時間がかかっても、やれば出来る事が、分かってきた。あと何年生きるか分かりませんが、障害とたたかって、後悔しない道に
進めたら良いなと今思っている自分です。


